2024年06月01日
東北の旅ー1
Mさんから声がかかった、「東北へ旅行に行かないか?」
3月の事である。
すぐに返事は出来ず、他の参加者の意向も聞いてOKをした。
メンバーは昨年と同じ4人組だ。
プランは彼任せ、費用を安くするため色々考えたようで、神戸から仙台までは空路、その後はレンタカー利用というツアーのプラン。
往復の旅費と宿泊の確保で、後はそれぞれの自由行動となる。
東北と言えば「東日本大震災」を思い出す。
あれから13年経ち、少しは落ち着いていると思うが、実際はどうなんだろう?
やはり気になるね。
そこでまずは震災の津波被害を受けた荒浜小学校へ行ってみる。
ここは仙台市(宮城県)の中心部から約10kmの太平洋沿岸部。
海岸から700m内陸にあるが、津波により2階まで浸水(4,6m)、近くに住む住民の避難場所にもなった小学校である。
1階は完全にやられ、車も流され突っ込んできたそうだ、そのすさまじさが今も残っている。
現在は震災遺構として一般開放しているよ。
(写真、津波に浸かった当時の映像)
平日だが数十人が見学に来ていたね。
近くを通る幹線道路は2m程かさ上げしたのか?、高くなっていた。
震災後に造られたものと思う。
道路が通れなければ避難も救援も出来ない。
今後の事を考えて造られたのだろう。
また、道中に見る家は新しいものが多い。
たぶん震災でやられ、建て直したのだろう。
それらは、より内陸部に寄っていたね。
仙台市では震災による死者、行方不明者が930人、全半壊の建物は14万棟との事。
地域の人々の生活安定と活性化を願いつつ、次の目的地、平泉(岩手県)へ向かう。
中尊寺は世界遺産であると共に、国宝第1号の所。
広い境内は太い杉の並木道となっており、そこに金色堂もある。
それは覆い堂(左写真)の中にあり、例によって写真撮影は出来ないが、お堂も仏像もキンキラ。(右写真、金色堂、カタログより)
天治元年(1124年)に建てられ、皆金色の極楽浄土を表現しているそうだ。
厳かな感じを受ける。
博物館に入ると1カ所だけ写真撮影用のパネルを置いていた。
(写真、金色堂の仏像)
ここは森の中、こうして昔からの木々に囲まれた所を歩くと気持ちも落ち着くね。
心が清められる気もするよ。
そして盛岡城へ。
南部氏20万石の城であったが、現在、城はなく石垣などが残って城跡が公園になっている。
9hrと広く、ゆっくり散策するにはもってこいの場所。
市民の憩いの場として親しまれているようだ。
8月にはさんさ踊りがあるそうだ。
この日は雫石町、標高400mのホテルに宿泊。
周りに明かりが無く、天気が良ければロープウェイで山に上がり、満天の星空が見えるのだが曇り空。
僕ら3人は風呂でも入るか・・・、Mさんは「星を見てくる」と外へ。
戻って来ると彼は宇宙ステーションを見たと言う。
「えっ、本当かいな」、スマホで調べるとその時間に盛岡上空を通過、しかも◎で見えるだって。
明るい星のようなものがスーと動いていったそうだ。
見損ねた、残念だったなあ。
翌日は弘前市(青森県)へ。
弘前城は津軽信政(名君で中興の英主と称された)の城で10万石。
(写真、天守閣、左に残雪の岩木山が見える)
この天守閣は下の石垣が崩れそうなので曳家(ひきや)をし、70m動かしたんだって。
こういうことは珍しいことだね。
今は石垣の工事中だ。
(左写真、みんなで曳家を体験、2015年)
3つの櫓と5つの城門が残っており、また城下町も含めて城郭とする惣構(そうがまえ)という構造で、自然を活かし岩木川を掘りの一部とするなど工夫がなされている。
ここも公園として市民に愛されている場所である。
桜も多く、春は楽しめそう。
一般的に「桜切る馬鹿・・・」と言われるが、ここは太い枝も切る特殊な剪定方法。
若い枝を生かして木を元気にするらしい。
北国だから病気や虫にやられにくいのかもね。
直径80cm位の太い幹から多数の枝が出てるのは見ごたえあるよ。
ねぶた村にも寄り、津軽のじょんがら節を聞き、ねぶた祭りの山車(左写真)を見学したよ。
東北は広い、岩手県だけでも香川県の5,6倍ある。
(徳島、愛媛、2県と香川県の半分を合わせた位)
しかも宿は指定されているので、行動は限られている。
あまり無理はしないで次の宿泊先、十和田へ向かう。
道中で近道が通行止めの為、ぐるっと回ると奥入瀬渓流に出た、ラッキー。
もちろん川沿いの遊歩道を歩いてみたよ。
(右写真、石ケ戸の瀬)
十和田湖から流れ出る川で、滝(左写真、雲井の滝)や清流が14km、水量が多いね。
苔むした岩ときれいな流れを見ながら歩くと心地よく、深呼吸したくなる。
ベストシーズンは5月中旬~6月中旬、新緑の時だって、タイミング良いね。
そして十和田湖へ (興味があればパート2で見てね)
3月の事である。
すぐに返事は出来ず、他の参加者の意向も聞いてOKをした。
メンバーは昨年と同じ4人組だ。
プランは彼任せ、費用を安くするため色々考えたようで、神戸から仙台までは空路、その後はレンタカー利用というツアーのプラン。
往復の旅費と宿泊の確保で、後はそれぞれの自由行動となる。
東北と言えば「東日本大震災」を思い出す。
あれから13年経ち、少しは落ち着いていると思うが、実際はどうなんだろう?
やはり気になるね。
そこでまずは震災の津波被害を受けた荒浜小学校へ行ってみる。
ここは仙台市(宮城県)の中心部から約10kmの太平洋沿岸部。
海岸から700m内陸にあるが、津波により2階まで浸水(4,6m)、近くに住む住民の避難場所にもなった小学校である。
1階は完全にやられ、車も流され突っ込んできたそうだ、そのすさまじさが今も残っている。
現在は震災遺構として一般開放しているよ。
(写真、津波に浸かった当時の映像)
平日だが数十人が見学に来ていたね。
近くを通る幹線道路は2m程かさ上げしたのか?、高くなっていた。
震災後に造られたものと思う。
道路が通れなければ避難も救援も出来ない。
今後の事を考えて造られたのだろう。
また、道中に見る家は新しいものが多い。
たぶん震災でやられ、建て直したのだろう。
それらは、より内陸部に寄っていたね。
仙台市では震災による死者、行方不明者が930人、全半壊の建物は14万棟との事。
地域の人々の生活安定と活性化を願いつつ、次の目的地、平泉(岩手県)へ向かう。
中尊寺は世界遺産であると共に、国宝第1号の所。
広い境内は太い杉の並木道となっており、そこに金色堂もある。
それは覆い堂(左写真)の中にあり、例によって写真撮影は出来ないが、お堂も仏像もキンキラ。(右写真、金色堂、カタログより)
天治元年(1124年)に建てられ、皆金色の極楽浄土を表現しているそうだ。
厳かな感じを受ける。
博物館に入ると1カ所だけ写真撮影用のパネルを置いていた。
(写真、金色堂の仏像)
ここは森の中、こうして昔からの木々に囲まれた所を歩くと気持ちも落ち着くね。
心が清められる気もするよ。
そして盛岡城へ。
南部氏20万石の城であったが、現在、城はなく石垣などが残って城跡が公園になっている。
9hrと広く、ゆっくり散策するにはもってこいの場所。
市民の憩いの場として親しまれているようだ。
8月にはさんさ踊りがあるそうだ。
この日は雫石町、標高400mのホテルに宿泊。
周りに明かりが無く、天気が良ければロープウェイで山に上がり、満天の星空が見えるのだが曇り空。
僕ら3人は風呂でも入るか・・・、Mさんは「星を見てくる」と外へ。
戻って来ると彼は宇宙ステーションを見たと言う。
「えっ、本当かいな」、スマホで調べるとその時間に盛岡上空を通過、しかも◎で見えるだって。
明るい星のようなものがスーと動いていったそうだ。
見損ねた、残念だったなあ。
翌日は弘前市(青森県)へ。
弘前城は津軽信政(名君で中興の英主と称された)の城で10万石。
(写真、天守閣、左に残雪の岩木山が見える)
この天守閣は下の石垣が崩れそうなので曳家(ひきや)をし、70m動かしたんだって。
こういうことは珍しいことだね。
今は石垣の工事中だ。
(左写真、みんなで曳家を体験、2015年)
3つの櫓と5つの城門が残っており、また城下町も含めて城郭とする惣構(そうがまえ)という構造で、自然を活かし岩木川を掘りの一部とするなど工夫がなされている。
ここも公園として市民に愛されている場所である。
桜も多く、春は楽しめそう。
一般的に「桜切る馬鹿・・・」と言われるが、ここは太い枝も切る特殊な剪定方法。
若い枝を生かして木を元気にするらしい。
北国だから病気や虫にやられにくいのかもね。
直径80cm位の太い幹から多数の枝が出てるのは見ごたえあるよ。
ねぶた村にも寄り、津軽のじょんがら節を聞き、ねぶた祭りの山車(左写真)を見学したよ。
東北は広い、岩手県だけでも香川県の5,6倍ある。
(徳島、愛媛、2県と香川県の半分を合わせた位)
しかも宿は指定されているので、行動は限られている。
あまり無理はしないで次の宿泊先、十和田へ向かう。
道中で近道が通行止めの為、ぐるっと回ると奥入瀬渓流に出た、ラッキー。
もちろん川沿いの遊歩道を歩いてみたよ。
(右写真、石ケ戸の瀬)
十和田湖から流れ出る川で、滝(左写真、雲井の滝)や清流が14km、水量が多いね。
苔むした岩ときれいな流れを見ながら歩くと心地よく、深呼吸したくなる。
ベストシーズンは5月中旬~6月中旬、新緑の時だって、タイミング良いね。
そして十和田湖へ (興味があればパート2で見てね)
Posted by 風(ふう) at 21:09│Comments(3)
│旅行、視察
この記事へのコメント
風さん、おはようございます。
私も東北大震災の翌年、キリスト教会を拠点に自転車でボランテイア活動をしていた東北狂句の方々の食事を作るボランテイアへ1週間ほど参加したことがあり、その時荒浜小学校傍へ行きました。たくさんの方が亡くなられたとのことで記念碑が津波の高さに建てられていて、唖然とした物です。こんなに高いところまでおしよせたのか、と。
そして、平泉金色堂へは夫との旅行で参りました。
大阪から小さな飛行機で空路花巻空港へ,そこからはレンタカーで。
梅雨明け間近の7月でした。北上川も芭蕉の句碑も思い出に残っています。
計画をきちんと立てられてすばらしい旅行をされてこられたのですね。
早く起きたので、ゆっくり読ませていただきました。
私も東北大震災の翌年、キリスト教会を拠点に自転車でボランテイア活動をしていた東北狂句の方々の食事を作るボランテイアへ1週間ほど参加したことがあり、その時荒浜小学校傍へ行きました。たくさんの方が亡くなられたとのことで記念碑が津波の高さに建てられていて、唖然とした物です。こんなに高いところまでおしよせたのか、と。
そして、平泉金色堂へは夫との旅行で参りました。
大阪から小さな飛行機で空路花巻空港へ,そこからはレンタカーで。
梅雨明け間近の7月でした。北上川も芭蕉の句碑も思い出に残っています。
計画をきちんと立てられてすばらしい旅行をされてこられたのですね。
早く起きたので、ゆっくり読ませていただきました。
Posted by TEA.JAM.CREAM at 2024年06月02日 06:25
こんばんは。東北教区です。
Posted by TEA.JAM.CREAM at 2024年06月02日 21:08
ありがとうございます。
震災地へのボランティア、スゴイですね。
感心します。
またよろしく!
震災地へのボランティア、スゴイですね。
感心します。
またよろしく!
Posted by 風(ふう) at 2024年06月02日 22:40