2022年08月27日

あれから10年、福島の今



 福島の原発事故から11年経つ。
現地ではどの程度復興したのだろうか?

 その間、何があったのだろうか?
 (この本は1年前に出たものです)




 (右写真、海から見た福島原発)

 8月初旬、毎年福島へ取材など行っているという、京都に住むSさんの話を聞く機会があり、その時手に取った本によると・・・
今まで知らなかった事がいろいろ書かれてある。


 (左、双葉町、東日本大震災、原子力災害伝承館。付近にはまだ被災した車などが放置されている。2021年1月)

 大熊町の町会議員、Kさんへの聞き取りでは、
原発の地下にある洗濯場では、暑い中、上半身裸で洗濯をしていた作業者がいた。

借金などで困っている人が、給料の良い「洗濯屋さん」になるらしい。
その人は数年後に白血病で亡くなり、同じ職場でいたもう一人の人も亡くなった。

 こういう事は普段、情報としては流れない。
また、元、原発の作業をしていた人たちの中には、被災後も生活のため除染作業などに就く人がいる。
皮肉な話である。

 避難していた人たちの中で、自宅や農地を見に一時帰宅した人たち。
荒れた自宅や田畑を見てショックを受け、悲観して自殺する人も少なくなかったようだ。

 そして避難指示が解除されれば、震災後免除された固定資産税がかかる。
放射能汚染で何も生産できない場所だ。


 (右、汚染した土を運ぶダンプ)

 そこが除染で出た土などを入れる黒いフレコンバックの山となり、最終的に処分場化されないか?、と懸念しているそうだ。

 浪江町に住んでいた人の話。
見晴らしのいい応接間、眼下の池から水鳥が飛び立つ。
近所の子供たちとバーベキューをして楽しんでいた素晴らしい生活は原発事故で奪われた。

 2017年に避難指示は解除されたが、2020年12月で町の人口は元の5%。
彼の家は耐震構造で地震による被害はあまりなかったが、放射線量が高く、とうとう解体したそうだ。

 2013年、東京オリンピックの開催が決まり喜んだ人もいるが、「原発事故の犠牲者を救済しないで、オリンピックなど行うべきでない」
彼は訴えた。

 事実、オリンピックの工事のおかげで、復興の工事は遅れ、人件費も上がり、地元の自治体は苦労したようだ。

 また、被害者は、「賠償金をたくさんもらったのだろう」、とか「いつまで被害者面しているんだ」
心無い言葉を浴びせられ、人々の偏見にも苦しめられたそうだ。

 次に京都大学で原子力の研究をしている I さんの記録より。
彼は原発事故後、飯館村の調査を10年行ってきた。(チェルノブイリ原発事故の調査も行っている)


 (セシウム汚染マップ。文化省のデーターを元に作成)

 3月12日の水素爆発により、放射能は県内や隣県にも広がり、30~45km離れた飯館村も汚染された。
彼は一部だけ、と思っていたが、村全体がとんでもない汚染地帯だったそうだ。

 最初は避難区域となり、次に帰還困難区域。
除染作業が始まり、誰も住んでいない村に、毎日6000人の白装束した作業員が集まる。
奇妙な光景が3年続いた。

 彼の概算では費用が3千億円、住民一人当たりで5千万円となる。(国の税金である)
2017年3月、避難指示解除となるが、帰ったのは6000人の内1300人(2020年12月時点)

 ある会合で聞いたのが、「最初は被災者でしたが、すぐに難民になり、最後は棄民です」
生活だけでなく精神的にも大変だったようだ。
それは今も終わってはいない。

 福島県は東北電力の管内で、福島原発で発電した電気は県内で使われていない。
(東京など首都圏で使われている)

 僕が思うには、結局は貧乏な村がお金で買収されたようなもの。
本当に安全な原発なら、送電コストの少ない東京湾近くなどに造れたのだろうが、不安要素があり、(国や東電が)遠く離れた田舎へ持っていったんだろうと思う。


 この本には、まだたくさんのことが書かれているが、 「やはり原発はいらない!」
そう感じました。

 日本は地震大国、南海トラフだって、いつ発生するか分からない。
月日と共に薄れていく大震災と原発事故、風化させることなく、今後も考えていかねば、と思います。
 
  
 

 
    


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2022年08月23日

熱帯雨林とあなたの未来




 あなたの望む未来は左右どちらですか?
表紙にはこう書かれている。

 写真を見れば、多くの人が右側を選ぶだろう。
でも、人類は資源の略奪と、自然破壊を続けてきた。

 1950年に25億人だった世界人口は2020年に78億人。
今後も増えそうだ。

 当然食料も多くなる、また文明が進み豊かになると、地下資源もどんどん消費する。

 世界の人がアメリカ人と同じ生活をすれば地球が4ついる。
日本人と同じ生活だと2ついる。
10年以上前に聞いた言葉だ。

 今の日本はそれ以上の消費をしていると思うよ。
でも地球は一つしかない。

 さてどうするか?
・ このままの生活をし、他の生物も巻き添えにしながら人類が滅びるか
・ 意識を変え、環境保全などに取り組み、経済至上主義を改めるか

 あなたはどちらを選ぶでしょう?
未来の子供たちは私たちが残した環境と資源で生きるしかない。
もちろん、あなたの子供さんやお孫さんもその中に含まれている。

 「滅びる原因は、自らの内にある」
徳川家康の言葉であるが、失敗を人のせいにしない、というもの。



 自然界の中の一員である人間が、人間中心主義になり、地球環境に大きな影響を与えている。

 経済至上主義、お金だけ、お金があれば・・・
お金って便利だよね、僕だってほしい。

 でも、一番大切な生命は?、きれいな空気や水は?、安全な食べ物は?
これらは環境が守られていて成り立つ。

 現状は
・消失する森林     ・地峡温暖化
・大気と水の汚染   ・食の危機      など


 
 この資料に書かれているインドネシアの熱帯雨林も乱伐や大火災で破壊され、貴重な生物種も絶滅の危機にある。
(写真、大火災の跡地、植樹を始めた頃、2002年)





熱帯雨林とは、北緯と南緯23,5度の範囲にある森林で、世界の陸地面積の12%あったのだが、5%に減少している。
それでも熱帯林は世界最大の森林地帯。

 熱帯雨林の破壊は地球規模の気候変動にも影響する。


 2000年にMさんらがインドネシアで始めた、大火災跡地の植林活動は現在も続いている。

残念ながら異常気象などで期待ほどの成長はしていないが、217ヘクタールに10万8千本の木を植え、森林らしくなってきています。



・彼らのやり方は、まず成長が早く、木材としての価値もあるチークを植え、それがある程度育った時に現地の木(メランティーなど)を樹下植林する。(この木は日差しが強く水分がない場所では育ちにくい)
 (右写真、細い木がメランティー、太いのがチーク)

・チークは大きくなれば伐採し、植林に協力した出資者に還元。
残った現地の木が、成長し、元の熱帯雨林を復元する。

 こういう仕組みである。
(僕も協力者の一人だが10年以上経った今も還元は未定。エルニーニョなどで思うように成長していないのだ)

 さて、いろいろ書いたが、
僕らにできる事は?
・1本の木からでもいい、積極的に植林し、自然を再生する。
庭に数本の木があるだけで、目に優しく、日陰を作ってくれ、気温上昇を防ぐ効果もある。
もちろん二酸化炭素(CO2)を吸収し、酸素を与えてくれる。

 そして
 経済規模の縮小(一気にはできないが・・・)
 
・無駄なもの、不要なものを買わない
・物欲をほどほどにする
・近くは歩いたり、自転車で(車の使用を減らす)
・ごみで捨てるのもったいない、物を再利用する
など、できる事から一つづつ。



 僕にも(いい年をして)まだ欲望があります。
でも、大食い大会や、あまり必要でない高級品などは控えているつもりです。

 テレビなどは相変わらずそんな番組がありますが、日本人は自然界から離れ、その大切さと良さを忘れかけているのでは?
そんな気もします。

 本当に大事なのは何だろう?

 森のない地球にあなたの未来はない。


「人類は自然の力に対して謙虚になれ」  ワンガリーマ-タイ さんの言葉 
                           (ケニアのノーベル平和賞受賞者)


 みなさんはどう思いますか?
  


Posted by 風(ふう) at 10:53Comments(0)日記/一般

2022年08月21日

思いたっちゃんたら吉日



 「中学生になった優君へ」、孫への話しかけで始まるこの本は福島で5人の子供を育てた かあちゃんの記録。





著者は結婚後、福島で有機農業を生業として、最初は主人がワゴン車で顧客を一軒ずつ回り、売っていた。
栽培方法は違うが、徳島のOさん(自然農)と同じような苦労をしていたんだなあ、と感じた。

その後、顧客の一人が「麦の会」の発足に尽力してくれ、「ポスト」という代表者の家へ届け、近くの人がそこへ取りに行く。
パックも3種類にし、選んでもらう。
数か所のポストへ届け、品詰めもやりやすくなって省力化ができた。


 そして5人の子供に恵まれる。
本人は「宝物」と言っているが、それぞれ個性があり、「家出する」と言う子や登校拒否の子、うつ病の子など育てるのが大変だっただろうね。

その辺はやさい通信などに書かれていて、苦労をしながらも彼女の愛情を感じるよ。



 自然豊かな福島に、2011年3月11日、大地震が起き、原発事故で放射能が拡散。
津波などで亡くなる人も多かったが、農業をしていた人達はたちまち生活に困る状態になった。
作物が汚染され、売り物にならないのだ。

 だが、彼女の農地(田村市)はグリンピース(国際的な環境保護団体)のチェックを受け、「農耕可能」と言われ、その後を支えてくれた。

放射能がゼロではないが、基準以下ということだ。
国よりも県よりもグリーピースが信頼できる、と思ったそうだ。


 原発地との間に1000m位の山があり、拡散を防いでくれたのだろう。
それでも畑が379ベクレル、田は58ベクレルあった。
収穫したトマトに12ベクレルのセシウムが出た。
結局35年続いた顧客とのつながり、「麦の会」を解散。

 顧客は3分の1に減り、生活も苦しい。
これからどうするか?

 「何もかも原発事故でひっくり返されたが、もう一度一から始めよう」
販売の会社を立ち上げる事になったが、そこでも苦労は続く。
必要なのは希望、あるのはやる気のみ。



 いろんな人に支えられ、そこそこの経営が出来るようになった。
この本がか書かれた5年前の話。

 今はどうなっているのだろう?、順調にいっているのかな。
機会があれば行ってみたいなあ。

  もう一つ、著者を支えたのが人形劇、大学生の時出会い、有機農業と共に車の両輪になっている。
心の支えとなり、その辺も書かれているよ。

 たっちゃん(著者)が望むこれからの世界は、原発がなく、紛争やテロもない。
異常気象も少しでも減らしたい。
誰でもが幸せになる権利を持ち、清潔な空気と水と食べ物を得られる社会になること。

 現実は一向に進歩していない感じであるが、少しでも良くし、負の遺産を子供たちに残さないようにしていきたいね。

 ともあれ、読んで面白く、考えさせられるところもある、おすすめの本です。

 
・ おまけ(参考のために)
 震災後、福島産は全部ダメ、みたいな風評被害があったが、福島県は北海道、岩手県に次ぎ3番目に大きな県。
四国で言えば高知県、愛媛県と香川県の半分を合わせたくらい。
香川県の7,3倍あります。
放射能も産地により大きなバラツキがあったと思います。
   


Posted by 風(ふう) at 09:41Comments(0)

2022年08月19日

とうとうコロナになっちゃった

 8月17日はシルバー、盆休み明けの作業。
トラクターでのハンマーナイフモアによる草刈り作業を行った。
そして帰る途中、家の100mほど手前で体のだるさを感じた。

 「これはやばい!」、疲れた時のだるさと違い、力が抜けていく感じ。
熱中症かな?
トラクターを家横の道沿いに停めると、急いで帰り、作業着を脱ぐと、1杯の水を飲み、そのままベッドへ、バタンキュー。

 昼食も食べず、2時間ほど寝ると少し気分が落ち着いてきた。
その後30分ほど様子を見、動けそうなのでトラクターを洗い返却、借りものなのだ。

 食欲がなく、ご飯も欲しくない。
妻が心配し、「熱を測ったら?」
37,2度、少し熱があるようだ。

 病院へ電話をしてくれたが、妻が受けた所は断られた、患者がいっぱいなんだって。
みとよ市民病院で受け付けてくれ、行くと車の中で熱を測り、「コロナの検査をします」
病院の中には入らず、外での対応である。

 妻の陽性反応が出てから、6日間、僕はどうも無かったので大丈夫だと思っていたが、「陽性です」
ショックだったなあ。

 シルバーの作業で僕はトラクタ-に乗り、他の人は周囲の草刈り。
あまり接触はなかったと思うが、それもわからない。
リーダーに電話をし、事情を話す。

他の人に移っていなければいいが?、気にはなるが仕方がない。
薬をもらい帰宅すると、娘がそうめんを作ってくれた。

 お腹はすいているのだが食欲がない。
それでもそうめんなら食べられた。
「やれやれ」

 19日は4回目のワクチンを予定してたがキャンセル。
今までのワクチン注射は何だったのだろう?

 効果がなかったのか?、それともワクチンのおかげで軽症で済んだのか?
僕には分からない。

 妻は看護師よろしく、日に3~4回検温に来る。
自分でしようとしない性格を知っているからだ。



食事は部屋まで運んでくれ、家族ともできるだけ会わないように。
妻も軽症、自室でテレビを見るなどしているよ。

 初日の夜、38度まで上がり薬を飲んだが、その後は高くて37,2度。
体は少しだるいが、特にすることもないのでベッドでゴロゴロしている。

 たまに咳も出るが数回程度。





なったものは仕方がない、この程度ですんだだけマシかな。





 時間はある、あとは本を読んだり、PCを使ったりだね。

 (この台はおばあちゃんの為に作ったキャッスター付き、思わぬところで役立った)


 みなさんもご注意あれ!
気を付けてくださいね。   


Posted by 風(ふう) at 21:58Comments(0)日記/一般

2022年08月13日

夏の真平山活動

 近年は「去年より暑い夏」、と毎年のよう言われている気がするがどうなんだろう?

 暑さに負け、ブログも思うように書けていないが、里山の活動はそこそこやっている。










6月の1回目は田植えなどで中止したが、2回目は見返り坂の草刈りを実施。



 6名の参加で、桜の周りなどがスッキリしました。

(左写真、右側の3本が桜)
カメラを忘れ、作業中の写真なし。
(最近忘れ物が増えました)



 7月は、麓の生活道沿いの水路がイノシシのやられ、土で埋まっていたのを除去。
5名の参加で、ユンボを使い溝掃除を行った。
(これもデーターが不明、前回の写真でイメージしてください)















(左上写真、作業前、溝に土が埋まっている。 右上、作業中 左写真、作業後、青いのがユンボ)



 7月、2回目はふもと付近の除草剤散布と桜の周りの草刈り(6名参加)。












そこは5月に草刈りをしたが(上と左の写真)、また伸びて作業の手が回らず、やむなく除草剤散布で省力化って感じ。

 暑い中、こうしてボランティアで来てくれることがありがたい、感謝!

 最近はバタバタして写真を撮り忘れることが多くなったが、暑さで頭が回っていないのかも?

 とにかく、ある程度の予定はこなせ、8月は夏休み。
 息抜きと熱中症対策も兼ね、ゆっくり休んでもらいたい。

そして憩いの森、こちらは草で道がふさがれ、草刈りを実施。












その後、モミジの木に水やり、草やカズラなどで何処にあるかわからない感じだったが、なんとか枯れずに堪えてくれている。
1か所は掘られた跡があったが、木は枯れていない。
油断はできないね。

 たまには見に行かねば、と思っています。

 9月になれば活動も行いますのでよろしく!

 
   


Posted by 風(ふう) at 15:57Comments(0)里山

2022年08月10日

僕もコロナの濃厚接触者?

 僕らがボランティアで活動をしている里山の会で、先週「お疲れ様会」を行った。
8月は暑いのでお休みとし、 前半の慰労会のようなもの。

 その時はどうも無かったが、昨日一人が新型コロナに感染、電話連絡があった。
僕の隣で一緒に飲んでいた人である。

 僕は今のところ異常はないが気を付けねば、と思っていた折、妻が風邪ぎ気味で医者に行くと、「コロナの可能性もあり検査します」
そして陽性反応が出た。
今日のことである。

 「これはマズイな」
7月の半ばから妻の部屋で一緒に寝ていたからだ。
普段は別々の部屋でいるのだが、夏場はクーラーを2台動かすより節電を、と同じ部屋にしたのだ。
ベッドは別だが、そんなに離れてはいない。

 食事なども家族が食堂で。
やはり濃厚接触者になるのだろうね?

 今夜からは僕も自分の部屋で寝ることにする。
子供も自分の部屋でクーラーをつけ、僕も。
3台のクーラーが動くと、電気の使用量も代金も当然上がるだろう。
この暑い時期に、熱中症になっても困る。
「やむなし」、って感じ。


 どこで感染したかは不明?
妻も働いているので、そこかも。
しかし、もしかしたら僕かも?(僕自身は症状なし)
重症にならねばいいが・・・

 てな事で僕も行動を自粛しなければ・・・、と思っている。
家庭内でもマスク着用。
とりあえず7日間。

 みなさんも気を付けてくださいね。 
  


Posted by 風(ふう) at 21:01Comments(0)日記/一般